沖縄タイムス・リレーエッセイ「どんぐりころころ」
第4回 平成18年9月29日掲載
「大切なもの / カワイソウかどうかは」
「お母さん、きーちゃん、ダウン症なんだって!」ある日学校から帰って来るなり息子が言った。同級生のきーちゃんがダウン症であることを子供たちに伝え、障害について考える授業が行われたのだ。「ぼく、知らなかった。ダウン症の子は、みんなより成長が遅いんだって。だからきーちゃんは字を上手に読んだり書いたり出来なかったんだね…」。息子はきーちゃんがダウン症だと分かったものの、それをどう受け入れていいのか分からないようだった。
「それで鳴海(なるみ)はどう思ったの?」「うーん…成長が遅いなんてかわいそうだなぁ、って思った。」「そう、かわいそうだと思ったんだね。じゃあ、鳴海は小さいとき目があまり見えなかったけど、自分のこと、目が見えなくてかわいそうって思ってた?」「え!そんなこと…。」息子は私の質問に、ちょっと驚き考え込んだ。
「かわいそうかどうかは、人が決めるんじゃなくて自分が決めることだとお母さんは思うよ。人がどう思うかよりも、自分がどう思っているかが大切なんだと思うよ。鳴海がきーちゃんをカワイソウって思うのは自由だけれど、本当にカワイソウかどうかは、きーちゃんだけが知ってるんじゃないかな。」分かったような分からないような顔をして、息子はしばらく考え込んでいたが、「ぼくは自分のこと、カワイソウだと思ってないよ。きーちゃんもそうだと思う。」とポツリと言った。
「かわいそうかどうかは自分が決める」、それは実は息子が教えてくれたことだった。眼鏡とアイパッチを始めた3歳の頃、同情や応援、周りの大人が様々な反応を示す中、当の息子はその中心で、いつもニコニコ笑っていた。何も理解出来ない年齢だったというだけかもしれない。それでも人がどう思おうと、この子は自分のことを、これっぽっちもかわいそうだと思っていない。その事実だけが大切なのだと、その笑顔は告げていた。
今年息子は10歳になり、眼鏡とアイパッチで過ごした幼い日々も、遠い記憶となってきた。記憶は褪せてしまっても、あの日々から私が学んだ目に見えない大切な何かを、こうして息子にも少しずつ伝えていけたらいいなと思う。
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