沖縄タイムス・リレーエッセイ「どんぐりころころ」
第6回 平成18年11月24日掲載
「弱視治療児支援 / 関心持てば一歩進む」
あいぱっちくらぶの活動が実り、小児の治療用眼鏡等に対する保険給付が認められたことで、多くの方から祝福と賞賛の言葉を頂いた。しかしその度うれしさよりも、どこか気恥ずかしいような、後ろめたいような、複雑な感情がすることに、いつしか私は気がついた。
「私はたまたま、息子が弱視だっただけじゃないか。」そう思う自分がいた。「でなければ、こんな活動はしていなかったのではないか。」「活動どころか、弱視なんて病気さえ知らずに一生を過ごしていたのではないか…。」
そんなある日、眼科医の方に、色覚検査が学校から無くなったことについてどう思うかと意見を問われた。私は少し考えて、色覚は視力ほど生活に影響はなく、治療方法もないことから、検査に伴う差別等を考慮し廃止となったのも仕方ないのでは、と答えた。
するとその先生がおっしゃった。「見えなくて困っているのは、何も(あなたの子どもと同じ)斜視弱視の子供だけではありません。色覚異常の子供が住みやすい世の中を作ってあげるのも、私たち大人の使命と思います。」もっと周りをみてごらん。私達大人が子供たちのために出来ることは、まだまだあるのではないですか?そう諭された気がした。視野の狭さを見透かされた思いがして、心から自分を恥じた。
「知る」は「理解」の最初の一歩。以前私はそう書いた。今の世の中新聞やテレビ、そしてネットから、あらゆる情報が流れ込んでくる。それでもそれらに一歩進んだ関心を持つことがなければ、それらは何の意味も持たずに消え去るだけだ。
子どもたちを取り巻く問題だけでなく、沖縄が抱える問題、日本、そして世界まで。全てを「自分の問題」として受け止め背負っていくことは出来ないけれど、その中に何か自分が関わっていけることがあるのではないかと、心のアンテナをいつも高く立てていることが大切なのだと私は思う。
息子が弱視であったことも、沖縄で生きていこうと決めたことも、この生きにくい時代に産まれたことも、偶然ではなく意味があるはず。その意味をこれからも、考え続けていきたい。
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