沖縄タイムス・リレーエッセイ「どんぐりころころ」

第6回 平成18年12月22日掲載

「息子の弱視 / 「経験と気づき」教える」

 

私がまだ独身だった10数年前のこと。知人に口唇口蓋裂のお子さんが産まれた。里帰り出産だったため、そのまま東京で手術を繰り返し、島に戻ってきたのは出産から1年も経ってのことだった。やっと帰ってきた赤ちゃんと彼女、そして島で待ち続けたご主人を囲んでのタンカー祝いが計画され、その席に私も呼ばれた。

だけど私は彼女に会って、なんと声をかければよいのか分からなかった。当日私は考えた末、「命に関わるような病気じゃなくて、本当に良かったですね。」と彼女に言った。彼女が何と答えたか覚えていない。何も言わずににっこり微笑んだだけだった気がする。

やがて私は結婚し、息子が産まれた。すくすく健康に育っていると思っていた息子の左目が見えていないことを知ったのは、3才になったばかりの時だった。人生最大のショックだった。弱視は確かに生死を分ける病気ではなく、人から見たら些細な病気かもしれない。だけどもっと重い病気の子どもと比べて「良かった」と思うことなど、到底出来なかった。

「右目は見えてるなら良かったね。」私を励ましてくれているのは分かっていても、「自分の子どもがそうでもそう思うの?」と、腹立たしい気持ちしか持てなかった。そして彼女に言った自分の言葉を思い出した。あの時私に微笑んで見せた彼女の、心の奥底にあったであろう複雑な気持ちを、私はやっと知ったのだった。

その立場になってみないと見えないないことが、世の中にはたくさんあるのだと思う。息子はわずか3才から眼鏡とアイパッチで過ごすことになったが、息子の眼鏡は、私の心の目にも、それまで見えていなかったものを鮮やかに映し出していった。私にこうしたさまざまな「経験と気づき」をたくさん与えるために、息子は弱視となって産まれてきたのかもしれない。

この半年、私のそうした「経験と気づき」を少しずつ書いてきたが、こうして振り返ってみると、弱視であった息子に育てられてきたのは、やはり私の方だったように思う。いつか息子にこう言おう。

「弱視に産まれてきてくれてありがとう。おかあさん、ちょっと成長出来たよ。」

 


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