(2000.01.13)


大阪で診てもらった先生は、小児眼科ではちょっと名の知れた先生だ。5時に来るように言われ、病院に足を踏み入れると、すでに大勢の親子連れでいっぱいだった。さすがに名の知れた先生なのだな・・・と何故か少し緊張した。

待ち合い室をうろうろするなるなるについて回っている時に、ちらりと診察室が見える。そこに座っている先生は、ヒゲをたくわえて少々強面だ。恐い先生だったらいやだな・・・ますます緊張する小心者のしぇるなのであった。

「なるなるく〜ん」と呼ばれて2番診察室に入る。そこでは3人程の若いお姉さんたちがテキパキと検査をこなしていた。持ってきた紹介状を見ながら、いつから内斜視に気付いたのか、生まれた時は正産だったのか、体重はどれくらいだったのか、などの問診を受ける。そして持ってきた2つの眼鏡を見せ、正確な度数を測ってもらう。

その間もイスの間をちょこまかと動き回り、落ち着きの無いなるなるだ。他の子供達はみ〜んなお利口に座って検査してるのに、おかあちゃんはトホホだよ。だけれどお姉さんたちはそんななるなるをニコニコと見つめ、決して叱りつけたりしない。さすが子供慣れしてるよなあ〜と妙な所で感心する。

そして親の私に対する問診が終わると、なるなるはベルトコンベアーに乗ったかのように、次々と検査をこなしていった。屈折検査、矯正視力検査、角膜曲率半径計測、立体視検査、両眼視機能精密検査、眼筋機能精密検査、負荷後屈折検査、精密眼底検査。最後にもらった明細書には、これだけの検査の名前が書かれていた。いったいどの検査がどの検査だったのか、さっぱり分からない。なるなるは散瞳剤を点眼する時以外はとても協力的で、みんなから「3歳でこれだけおとなしく検査をする子はなかなかいませんよ!」と誉められ、私はまたしてもそうでしょ、そうでしょ、と親バカ状態になったのであった。

ただ、気になったのは、持参した眼鏡の度を調べている時にヒョコっとやってきた先生の言葉だった。「石垣島かあ、以前ねえ、小児眼科に勤めていた時、石垣島から紹介状を持って来た子供がいたよ、それ以来だなあ、懐かしいなあ」とニコニコと私に話し掛け、「あの先生、ちょっとコワイかも」と少し腰の引けていた私の気持ちを一気に和らげたた先生は、紹介状を一読すると、「左プラス7、右は0か・・・厳しいな。」と一言残して去ってしまったのである。

そしてその言葉の意味は、最後先生の診察の時になって、意味がはっきりわかった。

弱視の基礎知識について一通り話を聞いたあと、先生がこうおっしゃった。「遠視でも、プラス4、プラス5ぐらいの子供はたくさんいます。そして左右のこの度の差というのが、4、5ぐらいだと、例え今の視力が0.1しかなかったとしても、わりと順調に0.3、0.5、0.7と回復するのです。だけれど、なるなるくんは右が0、ほぼ正視なのに対して、左はプラス7、つまり7の差があるわけです。これほど差のある子供はそれほどいません。そして、これだけの差があると、視力の回復は難しいのです。」と。

回復は難しい・・・そう聞いて私の頭は思考をストップした。

石垣島でも、「右目程よくなることはないでしょう」とハッキリ言われた。それでも少しはよくなる、だからがんばりましょう、と。その先生の言葉を疑っていた訳ではないけれど、島の先生は子供の眼が専門でも、弱視が専門でもない。専門の先生の意見は違うのではないか。心のどこかでずっとそう思っていた。機会があれば、必ず1度専門の先生に診てもらうのだ、と・・・

そしてようやくやってきたその機会で、同じことを言われるとは。専門ではない先生の言ったことだから、と勝手に思っていた私の都合のいい解釈は、ここにきて見事に否定されてしまった。

左右差が大きすぎるから、と石垣島で2つ処方された眼鏡だが、6の差ならなんとかかけられるのではないかという先生の判断で、プラス6の眼鏡を新たに作り、常時それをかける事になった。そしてアイパッチはできるだけ長く、1日出来れば6時間つけること。それもただ漠然とテレビを見て過ごすのではなく、だけれど訓練のテキストをこなすのは3歳ではまだムリだろうから、塗り絵や粘土など、眼で見て手を動かす作業をできるだけ多くさせること、などの指導を受ける。正直言って、半分は上の空で聞いていた。

どの本を見ても、インターネットのどのページを見ても、3歳までにわかった遠視が原因の弱視は眼鏡をかければよくなる、と書いてあった。なるなるのケースがそこにはあてはまらない、特別なものだと考えたことなど1度もなかった。きっとすぐによくなる、そう信じていた私の希望は、一気に打ち砕かれた。

もちろん、良くなる可能性がない、と言われたわけではない。他のケースのように目に見えるような順調な回復はなくとも、少しずつ、少しずつ、長い長い時間をかけて良くなっていくのかもしれない。「あせらずにがんばりましょう」という先生の声を背に、病院を後にした。

石垣島で電話を待ってるとうちゃんに何と報告しようか・・・と考えながら電話をかける。なんて言ってた、とのんびりしたとうちゃんの声に、回復の難しいケースだ、と言われた、と告げたところで涙があふれた。

それでもこの先、「専門の先生に診てもらえばよくなるのでは」といった気持ちをかかえながら過ごす事はなくなるだろう。それだけでもいいじゃないか。これでこの先回復しなかったとしても後悔する事はないだろう、オレ達が出来る最善のことをした、となるなるに胸を張って言えるだろう、ととうちゃんは言う。ゆっくりゆっくりでもいいじゃないか、回復しないと言われたわけではないのだから、がんばってみよう、と。

だけれど一体この先何年がんばればいいんだろう。どこかであきらめなければいけない時が来るのなら、それはいつのことだろう。誰かが「これ以上は無理だよ、あきらめてもいいよ」と言ってくれるのだろうか。

出るのは涙とため息ばかりだ。