(2000.01.16)


メガネを注文しに行った時、私はかたくなにレンズの交換だけを主張し、周りを困らせた。

詳細はこうだ。先日病院に足を踏み入れた時、多くの子供が眼鏡をかけていたのだけれど、私は妙な違和感を覚えた。どうしてみんな、こんなにカワイクない眼鏡を選んで掛けてるんだろう。そしてその訳はすぐにわかった。その眼鏡は、病院の院長が強力に推薦する眼鏡だったから。

そう知った時、私は驚いた。なるなるは2週間前に眼鏡を作ったばっかりだ。それも2つも。眼鏡を作り直す事になるだろうと想像はしていたし、覚悟も出来ていたが、フレームは無駄にはならないと思っていたのだ。新たにフレームから揃えなければいけないなんて。

しかも、その眼鏡はカワイイ、とか洗練された、とかいう言葉からは程遠い、強いて言えば20年前に流行しました、みたいなものすごくヤボったいものだった。どの子もみんなただのガリベンくんに見える。わたしはなるなるの顔にすっかり馴染んだBeBeのかわいい眼鏡を見ながら、うちはレンズだけを交換する、そう固く心に決めたのだった。

指定された眼鏡屋に行き、そのフレームを手にし、なるなるにかけてみた時、正直言って心がゆれた。それは、たしかに子供の顔にピッタリくるように完全に計算されたものだった。鼻あても子供の小さな鼻にもグラグラしないよう、しっかり一体になってるし、耳にかける部分も2段折になっていてしっかりかかって動かない。プラスチックのフレームはダサイが、ちょっとやそっとの衝撃では曲がったり歪んだりすることはないだろう。 なるなるのかける眼鏡をみて、「うちに来ている子で、後ろにこんなバンドをしてる子なんていませんよ」と誇らし気に言った先生の顔が目に浮かぶ。

そんな気持ちの揺れを見すかされないよう、私はたった2週間前に2つも眼鏡を作ったばかりなので無駄にしたくない、この子も慣れたところなのだから眼鏡をかえるのはイヤだ、先生はこのフレームを勧めたが、私は今の眼鏡のレンズを交換したい、と一気に主張した。眼鏡やさんはちょっと困った風だったが、「わかりました」と私の主張を受け入れ、レンズのみの注文書を書いてくれた。

店を後にし、昼食を取りに行く。だけど私の足取りは重い。食欲だって、全くない。理由はわかっている。私の理性は、あのフレームで新しく眼鏡を作るべきなのだ、と完全に理解しているのだ。口数少なくなった私に、一緒に来ていた母がゆっくりと話して聞かせる。なるなるはファッションで眼鏡をかけているのではない。なるなるは病気なのだ。なるなるの必要なのはかわいい眼鏡ではなく、医療器具としての機能をしっかり果たす眼鏡なのだ、と。

そんなこと言われなくてもわかってる。だけれども私の感情がどうしても受け入れてくれないのだ。子供にはかわいい格好をさせたい、みんなからカワイイって思われるような。それは母として普通の感情だと思う。それに、なるなるは眼鏡をかけてるだけでも目立つ。眼鏡が出来てからたった2週間の間に、「あんなちっちゃいのに、かわいそう」という言葉を何度聞いたことだろう。それでも思いのほかBeBeのかわいい眼鏡がとってもかわいく似合っているなるなるに、私は救われていたのだ。それなのに、あんなに不細工な眼鏡をかけなくちゃいけないなんて。

「おかあさんかって、あんたの気持ちはわかるよ。でも、わかるやろ?カッコワルイ、って思うのはあんたの気持ちだけで、なるなるにとってはどっちの眼鏡がいいんかってことぐらい。」涙をこらえられない私に母が言う。私は大きくため息をつき、そして事実と向きあうことに決める。私の理性と感情の戦いの勝敗は、はじめから決まっていたのだ、と。

1時間もしないうちに再び店に戻ってきた私達に、店の人もどうしたのかと驚いたようだが、私の顔を見て事情は察したようだ。もし注文がまだなら、やはりフレームから作りなおしてほしいのです、勝手な事をいってすみません、とお願いした私に、「レンズは注文してしまったのですが、いいですよ、大丈夫。もう一度注文しなおしますから。」と答えてくれた。

そして渡してあったBeBeの眼鏡を返してもらう。それはたしかにかわいいけれど、いかにも頼りな気で、まるでおもちゃのようにすら思えるくらいだ。ふと気がつくと、鼻あてがグラグラしない、もっとしっかりしたものに交換してあった。この医療器具と呼ぶには失格の眼鏡でもなんとかしっかり安定させて使えないものかと、私達が戻ってくるまでのわずかな時間の間に色々考えて工夫してくれたようだ。そんな眼鏡屋さんの姿勢を見て、私はここで作った眼鏡を使ってやるのが一番いいのだ、と思えるようになった。

外に5、6台のエレベーターが並んだ前で、扉が開いては閉まり、人が乗っては降りしている様子を珍しそうに座り込んで熱心に見ているなるなるをほうっておいたまま、眼鏡屋さんとポツポツといろんな話しているうちに、また涙がこぼれてしまう。こんなところでミットモナイ、そう思いながらとまらない。ゆっくり話を聞いてくれた眼鏡やさんは、「ここに来るおかあさん方はね、初めはみんなここでそうやって涙をながすんですよ」とさらに泣かせる事を言う。(泣かせるツボを心得た眼鏡屋だ。)泣いた事で少しスッキリした私は、これならまだマシ、ガマン出来ると思えるフレームを1つ選び、店を再び後にした。

眼鏡が出来るまで一週間。大丈夫、心の受け入れ準備をする時間はたっぷりある、と思いながら。