(2000.01.24)

正直言って、回復は難しい、と聞いてから、なんかもう眼鏡だってパッチだってどーでもイイという気持ちになってしまっていた。やってもたいして良くならないんでしょ、どーせ、と気持ちは後ろを向いて一直線に突っ走っていた。

そんな私を勇気づけたのは、ほかの誰でもない、なるなるだ。大阪に来るまでは3時間のパッチも、ビデオを見る時ダケ、パソコンで遊ぶ時ダケ、となるなるのペースで好きな時に好きな時だけやってなんとか2時間、うまくいって3時間、といった感じでかなりダレてしまっていたので、ハッキリ言って6時間のパッチをさせるのはかなり難しい、と私は内心思っていた。診察を受けた翌日に、「パッチしようか」となるなるに話し掛けると案外素直にパッチをしたので、お、これは、と思ったら、ひとしきりタッチャンオジチャンのパソコンで遊んだわずか10分後、思った通り「No patch」とはずしてしまった。

「あのね、なるなるね、こっちの目(左目)、見えないでしょ。これしてたら見えるようになるカモしれないんだよ。これからシャワシャワの時と寝る時以外は、おかあちゃんがいいって言うまで、ずーっとパッチなんだよ」と、眼鏡を初めて買った時と全く同じ言葉を、なるなるの目を見つめながら口にする。いや、正確には同じではない。見えるようになる「カモ」という辺り、私のかなり後ろ向きになってしまった姿勢が出ている。説得にも力が入らない。正直言って、ここでなるなるが「イヤだ、やらない」と言ったなら、わたしはそれ以上説得する自信も、いや説得するつもりさえもなかった。

だけどなるなるは私の言葉を聞くと、眼鏡の時と同じように、少しの間じっと考え、やがて「ウン、わかった」とこっくりうなずいた。それ以来、朝起きると「パッチ」と目を押さえ、私にパッチを要求し、そして「ぐらっしー(glasses)」と眼鏡を探す。私がいいよと言うまで、絶対にパッチをはずさない。

そんななるなるを毎日見ていて、私は考えた。たった3歳のなるなるがなんにもわかってるわけない、と私は勝手に思っていたけど、なるなるは実は自分の置かれている状況を、とてもよく理解しているんじゃないか、と。時々なるなるは目を順番に押さえ、「こっち(右目)見えるの。こっち(左目)見えないの。」と言ったりする。左目がなんか違う、というのがわかっているのは確かだ。

普通、なるなるのような不同視の子供は、パッチも眼鏡もとても嫌がるものらしい。それはそうだろう。見える方の目があるのに、わざわざそっちをふさいでよく見えない方の目で見るなんて、想像しただけで私はイヤだ。

それでもなるなるが素直に眼鏡にもパッチにも順応するのは、なるなるは私の言ってる意味を本当によく理解してるからじゃないだろうか。ボクのこっちの目がよく見えない。これをしてたら良くなる。だからやろう、と。

3歳だから、なんにもわからずただやってる。だってやらなきゃおかあちゃんに怒られるモン。そんな程度だと勝手に思ってたけど、きっと違う。なるなるはすべて分った上でパッチも眼鏡もやっている。その気持ちはだんだん強くなってきた。「おかあちゃん、ボクはまだ試合放棄してないよ。」眼鏡の下のなるなるの大きな大きな左目が、私にそう告げている気がした。そして思った。いつ試合を投げるのか。それを決めるのは私じゃない、なるなるなんだ、と。

いつの間にか、私は自分がこのストーリーの主人公のようなつもりになってしまっていたらしい。闘かっているのは私ではない、なるなるだ。本人が闘おうとしているのに、私があきらめてどうするんだろう。この子がこんなにがんばってるのに、結果が出ないなんて、信じられない。「良くなるカモ」なんて言葉は、なるなるの前では2度と使わない、「きっと良くなる、がんばろう」そう言い続けよう・・・なるなるの「力」を信じて。

右目に大きなパッチを当てて、目が2倍にも見えそうな重い眼鏡をかけ、黒ひげ危機一発ゲームもどきのプーさん危機一発ゲームのスティックを必死に差し込んでるなるなるを見ながら、この子はまっすぐ育ってる。私に似ずにおとうちゃんによく似て。とうれしく思った。