(2000.02.20)


アイパッチをして眼鏡をかけている。他の子供との違いはたったそれだけなのに、その違いがあるだけで色んな人が色んな反応をするのである。言い方は悪いかもしれないが、観察してるとちょっとオモシロイくらいだ。

中でも子供は正直だ。いつも一緒に遊んでくれる小学生のおねえちゃん達は、初めて眼鏡をかけてるなるなるを見たときは驚いたようだが「カッコイイね!」「似合ってるね!」と褒めてくれて、その後はいつもとかわらず遊んでくれた。この子達はアイパッチを始めた時も、「左目が悪いからね、こうやって見る練習をしてるんだよ」と説明したら「へえーエライねえ。ちっちゃいのにおりこうさんだねえ!」と感心してくれた。そして初めてなるなるを見る他の子供が「なんでこんなヘンなのしてるばー」と聞こうものなら、「見る練習してるんだよ、こうしてたらよくなるんだよ!」と一生懸命説明してくれるくらい優しい子達だ。

でも、そういう子供ばかりではない。先日公園に行った時は、いつものおねえちゃんとは別の6人ほどの一団がいたのだけれど、その子供たちはパッチと眼鏡のなるなるの姿を認めると、ヒソヒソと話をはじめ、なるなるが「コンチハー!」と近寄るとピューッと逃げて行ってしまった。そのうち2人はおそるおそる戻って来て、「なんでこんなのしてるの?この下、目がないの?」と私に質問し、「ちゃんとあるよー。こっちの目が悪いから、こっちの目だけで見る練習してるんだよー」と私が笑いながら説明すると、「なーんだ。目がひとつしかないと思っておどろいちゃったー」と納得し、その後は一緒に遊んでくれた。

けど、集団の残りはなるなるに厳しかった。なるなるが近寄ると逃げ、それでも近寄ると「来るなぁ!キモチ悪い!!」と言い、なるなると遊んでくれてる女の子にも「その子に近寄るな!一緒に遊ぶな!!」と指令を下す。ボスらしき女の子にさからえないのかその子もとうとう「バイバイ・・」と行ってしまった。

昨日は昨日で、体育館にバドミントンをしに行ったら、そこにいた保育園児の集団に、「こいつ目がないぞ!ユーレイだ!ユーレイだ!!あっち行け!!」と入り口をふさがれて通せんぼだ。何もわからないなるなるは遊んでもらおうと近づくのだけれど「ユーレイが来たぞ!逃げろ〜!!」とみんなに逃げられた。「こうやって見る練習してるんだよ、ユーレイなんて言わないで」とお願いするんだけど、聞いちゃくれないのである。

そんな子もいる、子供は遊びでやってるんだ、とわかっていても、悲しかった。いちいち気にしてたら身がもたないよ、と友達に言われ、そりゃそうだと思ってはみるのだけれど、私はいいけど心配なのはなるなるだ。今はよくわからなくて平気にしてるけど、言われている意味が理解出来るようになったらどう思うのだろう。そう考えるとやっぱり胸がシクシク痛む。

それにしてもどうしてあんな反応をする子供がいるんだろう。と考えると、やっぱり親かな、と私は思う。それは親子連れの反応を観察して強く思うようになったことだ。スーパーなんかでよくあるんだけど、子供がなるなるの姿を見て、おかあさんに「あんなにちいさいのに目がねかけてるよー。」とか「目にばんそうこうしてるよーなんでー」言うと、おかあさんはそれに答える。その答えは様々だ。

「ほんとだ。どうしたのかなあ、目が悪いのかなあ。かわいそうだねえ」辺りが普通だけれど、「あんなちっちゃい眼鏡もかわいいね〜」とニコニコ笑ってくれる人もいた。かと思えば「そんなこと言っちゃダメよ!!」と何故かあわてて怒りだす人もいた。一番ビックリしたのは、「**(子供の名前)もテレビばっかり見てたら、あんなになっちゃうんだよ!!と言った人がいたことだ。

思わず私は振り向きざまに「この子はテレビのせいじゃなくって生まれつき目が悪いんです。アンナニナッチャウヨはひどいんじゃないですかっ!!」と反論してしまった。「そんな教育されるあなたの子供の方がよっぽどカワイソウざますっ!」というセリフは言わずにグッと飲み込んだ。そのおかあさんは思わぬ反撃にあってギョッとしたようだが、「行くよ!」と子供の手を引っ張るとガラガラとカートを押して行ってしまった。

極端かもしれないけど、こういった親から「キモチ悪い」とか「ユーレイだ」なんてことを言うような子供が育つんじゃないかと思ってしまった。「あんなになっちゃう」の「あんなに」には、明らかにただ単に「カワイソウ」というのとは別の、差別意識が感じられるからだ。「ちっちゃい子の眼鏡もかわいいね〜」と言った人の子供は、「うん、カッコイイね!」ってなるなるに近寄ってきて笑って言ってくれた。きっとこの子はなるなると遊んでくれるお姉ちゃん達のように育つだろう。(ホント我ながら超のつくほど短絡的思考だな(笑))

自分と違うものを受け入れられない、ちょっとした偏見。それは子供の中に「育つ」ものではなくって、周りの態度によって「植え付けられる」ものなのかもしれない。目が悪い子もいれば、耳の悪い子もいる。手足が不自由な人もいれば、口がきけない人もいる。何の障害もない人が普通なんじゃなくって、世の中には色んな人がいるってことが普通なんだ。自分と違うものを普通のものとして受け入れられる子供になってもらうためには、親の自分がそうでなければいけない。

そんな当たり前のことを、最近よく考えるようになった。なるなるがもう少し大きくなって、「あの人どうして手が動かないの?」なんて聞くようになった時、私は何て答えるだろう。