2001.11.21

「おかあちゃん、とうきょうはそらがきいろくて、うみがグレーだね。」飛行機が羽田空港の滑走路に滑り降りようとしている時、なるなるがそう言った。小さな窓に一緒にへばりついて外を眺めると、たまたまその日だけだったのかもしれないが、確かに東京は空気が黄色く霞んでいて、海は青くもなく黒くもなく、灰色だった。大阪は、海は似たような色をしている気がするが、空気が黄色いと感じたことはなかったけれど、関西空港は大阪のはずれにあるからわからないだけで、大阪も本当は空気が黄色いのかもしれない。

久々の東京。結婚式に出席出来なかった高校時代の友人の新居を訪ねるために、10年ぶりの東京だった。品川から新宿までの満員の山の手線に揺られ、「おかあちゃん!なる、なる、いきができないよぉ〜〜!」と叫ぶなるなるの手を、離さないようしっかり握り締め、あー私はすっかり都会では暮らせない人間になってしまったなー、とつくづく思う。石垣に住んでいると、「人が多い」「並ぶ」「寒い」が耐えられなくなるから始末が悪いよなぁ。

その3大苦に耐えられない根性ナシの石垣人は、「ディズニーランド」だの「ワイルドバンチ公演」だの、張り切ってたわりには結局どこに遊びにいくでもなく、友人宅で朝3時までの酒盛りの翌日、午前中にさっさと新幹線で大阪に向かった。初めての新幹線になるなるは大興奮で、あっという間の3時間だった。

そんな根性ナシの石垣人を思いやってくれてか、大阪は思ったよりも暖かで、迷いに迷った末購入したジャケットも、ほとんど出番がないほどだ。実家でのんびり羽をのばし、久しぶりに(でもないけれど)友人と会ったりで数日過ごしたら、さ〜いよいよメインイベントの検診だ!

今回の検診で、ポイントは2つあった。

1つは、眼鏡。実は診察の1ヵ月ほど前、なるなるが床に転がしていた眼鏡を友人が運悪く踏んずけてフレームが割れてしまい、診察まではとガムテープで補修しながら使っていたのだが、診察の2日前にとうとうレンズがはずれて落ちて、欠けてしまったのだった。

2つめは、複視。前からうすうす気がついていたのだが、なるなるは最近また物が2つ見えるらしい。追及してものらりくらし交していたなるなるが、「おかあちゃん、2人見える」と告白したのはつい数週間前だった。あ〜、どういうことなんだよー!斜視がまたひどくなったっていうこと??私は気になって気になってしかたがなかった。

朝9時をちょうど回ったころ、病院に到着。「おはようごじゃいまー!」と元気に入っていくと、今日は、いつもより人が少ない。まだ5組ほどが待合室に座っているだけだ。ほどなくなるなるの番になる。いつもはなるなる1人で検査を受けさせているのだが、今日はいろいろ説明したり話を聞いたりしたいこともあり、検査にくっついていくことにする。

眼鏡を買い換えるための処方箋がほしいこと、複視があることなどを視能訓練士さんに説明する。まずは、いつも通りの視力検査から。「こっち!あっち!」おお〜!すごく小さなものも見えてるぞ!訓練士さんも、「わぁ、1.2が見えましたね!」とうれしそうに教えてくれる。おぉー!1.2かぁ〜、初めて聞く数字だぞ!

しかし喜んでる場合じゃない、肝心なのは左じゃないか。しかし左も、「こっち!そっち!」と今まで以上に見えてるじゃないか!ええ〜!こ、これは、もしかして、記録更新?!と心臓がドキドキしはじめたころ、「・・・右で見てますね、こんなに見えるはずありません。」と視能訓練士さんの冷静なひと声が。

え、今の、右で見てたの?うそ!

今まで、右でのぞき見、いわゆる「ズル」をする時には、明らかに「右で見てます」という仕草でわかったけれど、今回はまったく気がつかなかった。本当に、今の右で見ていたの?顔を傾けてもいなかったし、まっすぐ前を向いていたように見えたけど・・

しかし右目にしっかりアイパッチを貼られたなるなるは、一気にトーンダウンだ・・。「・・・こっちかなぁ・・」てな感じで心もとない。結局、見えたのは0.4までだった。0.4・・・全く変化なし、ってこと?ガックシ。

「おかあさん、なるなるくんはズルをしているわけではないんですよ、本人も無意識にやってることなんです。子供は大好きなおかあさんに、よく見てね、すごいね!と褒められると、ついがんばってしまうんですよね。」と視能訓練士さん。横で私が「がんばれば見えるよね!」「あんな小さいのが見えるの?!すごーい!」とはげますつもりで褒めちぎっているがため、なるなるは無意識にもっと見ようと、自分でもわからないうちに右目を使っていたっていうことか・・・。なんて健気な(;_;)。たった一度だけ、0.6が出たことがあるけれど、きっとあれもがんばろうと、無意識のうちに右で見ていた結果なのかもしれない・・・。

斜視角を測ったあと、先生の診察を受ける。こんにちは、はいこんにちは、と挨拶を交した後、「やっぱりこの子はむずかしいなぁ〜!」というのが今日の先生の第一声だった。「この7の差というのは、本当にむずかしいんです。これがすべてをジャマしてますなぁ。」先生も思案顔だ・・・。

7というのは、なるなるの左右の遠視の度の差のことだ。「これだけ左右の差が大きいのは、珍しい。これだけ差があると、視力を上げるのは難しい。」と先生に言われ、ショックで涙したのは約2年前のこと。まったく上がっていないわけではない、それでもやっぱり他の、左右の度の差が4〜5ぐらいの弱視の子供に比べたら、上がりはずっとずっと遅い。比べても仕方がないとわかってもいても、なるなるよりずっと後に弱視が判明した子供たちが、次々1.0が出たという報告を聞くと、よかったね、おめでとう!とうれしくなる反面、心の片隅に「どうしてなるなるは・・・」と、ほんの少し焦りを感じてしまうのは事実だったりする。

また複視があるらしいことを先生に告げると、「複視があるというのはね、すばらしことですよ、お母さん。」と先生が言う。「この子の左目は本当によくがんばっている。がんばっているから、斜視になってしまったり、複視になったりするんです。左目が見ることをあきらめてしまっていたら、左目で見ているものは抑制されて、複視はおこらないんですよ。」と。もちろんそれを1つの像に重ね合せることが最終目標ですけどね、と付け加えられ、「これだけ左目ががんばっているのだから、ぼくはこの子の視力はまだ上がると思う。まだまだがんばりましょうね、お母さん」と先生に励まされた。

先生にまだ視力は上がると思う、がんばろう、と言っていただけたのは、くじけそうになっていた時だけに、本当にうれしかった。斜視の手術のあと、両眼視も大切だからとアイパッチの時間が減らされたとき、「先生は視力を上げることをあきらめてしまったのだろうか。視力より両眼視の方が大切なんだろうか」と心の中でふつふつと湧いていた不安。ほかの子供たちの視力がどんどん良くなっていくのを眺めながら、うちだけ取り残されてしまっているような不安。今日の先生とのお話しで、「そうさ、こんなにがんばってるんだもの、きっとまだまだ上がる、なるなるはなるなるのペースで、ゆっくりでもいいからがんばろう!」とまた勇気が湧いてきた。

結局眼鏡は検査の結果、レンズの度もプリズムの度も今のままで大丈夫ということで、フレームと欠けてしまった右のレンズだけ買い換えることになり、次回は来年、ということで病院を後にした。

2001年、斜視手術のための2ヵ月の大阪滞在を含め、3回の滞在で、計3ヵ月を大阪で過ごしたことになる。おとうちゃんが入れ違いで3ヵ月西表で出張だった今年は、半分家族がばらばらだった。来年は、どんな年になるのだろう。