興奮からようやく冷めつつあった今日、先生にオリジナルのPatchPalsのパッチと資料をお渡しするために、アンパッチをつけたなるなると再び眼科に向かった。オリジナルのPatchPalsのHPとともに、ここをぜひ見ていただきたい、と思うページを、ネットをなさらない先生のために全部プリントアウトして携えていく。布パッチを紹介した自分のHPはもちろん、みかんまるさんの作られた型紙や、みんなが作っている布パッチの紹介のページも束にして。
眼科に足を踏み入れ、受け付けで「なるなるの母ですが・・・」と言ったとたん、待ってました!とばかりに視能訓練士さんが飛び出してきた。
「今ね、ちょうどパッチがかぶれて出来ないって困ってらっしゃる患者さんが来てたんですよ!30分もしたら、こういうパッチをした子が来るから、って話してたとこなんです。」と。見ると、ピンクの眼鏡をかけた小学生ぐらいの女の子と、そのお母さんが隅に立っていた。
「今日はアンパンマンだ〜!」「やっぱりこういうパッチだとカワイイ〜!」とたくさんの視能訓練士さんに囲まれて、なるなるはちょっと恥ずかしそうだ。「作り方をお母さんに教えてあげてほしい」と視能訓練士さんに言われて、用意してあったコピーを見せる。「みかんまるさんって方が、HPで作り方を公開してるんですよ。」と言うと、そのお母さんはネットをなさる方だったようで、アドレスを書き写して帰られた。
「やあ、アンパンマンが来たな!」とニコニコ顔の先生が出ていらっしゃったのはその直後だ。「どれ、ボク、見せてごらん。」と先生はまた熱心にパッチをつけたなるなるを観察する。
先生は、先週私が布パッチをお渡しした翌日に、早速川本産業の担当の方を呼び出して、この布パッチについていろいろお話ししたのだそうだ。
「キミとこのパッチはかぶれるだろう?こういうのを作っているお母さんがいるのだが、どう思うか。」とおっしゃったのだそうで、笑ってしまった。「キミとこのはかぶれる」と先生にハッキリ言われた担当の方は、きっと目を白黒させて困ってしまったんじゃないかしらん(笑)先生は弱視治療やパッチの歴史について興味深い話をいろいろなさったが、一番心に残ったのは、このお話しだ。
なるなるを診て下さっている先生は、湖崎克先生とおっしゃる、子供の弱視・斜視の分野では第一人者である。
大阪小児保健センターの眼科長、後には所長などを勤められた後、個人眼科「湖崎眼科」を開かれた。その後も眼科医会などでは精力的に公演をなさっていて、名も実力もあるお方だ。その先生が40年近く前に弱視治療を始められた時、あるお母さんが自分の子供のためにと、教科書をすべて大きな字でノートに写したものを見たことがある。拡大コピーも何もない時代の話だ。そのとき先生は、「ああ、母の愛情というのはこういうものなのだ」ととても衝撃を受けられたのだそうだ。
そして、こうおっしゃったのだ。
「ボクは、その時と同じ衝撃を、今感じているんです」と。先生は、この布パッチのことを、本当に真剣に考えて下さっているのだ・・・と心の中が熱いものでいっぱいになった。この先生なら、きっと本当に、粘着に困っている子供たちのために、布パッチを日本中に広めて下さる・・・。
どんなパッチにしたいのかという構想をしばらく熱っぽく語られていた先生は、突然我に返ったように診察に戻られ(笑)、私は視能訓練士の主任らしき方と、持っていったプリントを見ながらもうしばらくお話しを続ける。話を重ねる度に、「こんなパッチになるのかな」「あんなになったらいいけどな」と、ワクワクするほど楽しい想像がどんどん膨らんでゆく。
でも、これで布パッチは、私の手から離れてしまった。
私の布パッチ商品化への橋渡しの役目は、これで終りだ。川本産業という医療のプロの手にかかった布パッチは、いったいどんなものに進化するのだろう。
「商品化が決まりました」といううれしい連絡をもらうのは、いつのことだろう。遠い日でなければいいのだけれど。
ものすごく楽しみだ!